「桜井漆器」は、桜井地方で作られる今治市の伝統工芸品のひとつです。
江戸時代後期より栄えた地場産業のひとつで、漆器産業の発達から生まれた独自製法「櫛指法」は、縁起が良いとの云われからお祝い事から贈答品に用いられ、海商業が活発化した背景をもとに全国各地へ広がっていきました。
椀船行商の衰退とともに姿を消しつつありましたが、親しまれやすい形で現代も進化し続けています。

桜井漆器の起源と歴史

全国各地の漆工芸品の中から独自の技術を生み出し、現代も作られ続ける「桜井漆器」
いつどのように伝わり、今治市を代表する地場産業へと進化していったのか、その歴史を紹介していきます。

商業船の来港とともに活発化した漆器産業

桜井漆器の起源は、江戸時代文化・文政年間(1804年~1830年)ごろまでさかのぼります。
当時の今治市桜井地方は九州地方と本州西部をつなぐ中間地点であったことから、港が開設され、年貢米や商品を運ぶ廻船業者など多くの商業船が訪れるようになり海運での商業活動が発展していきました。
その廻船業者の中で、漆器を中心商品として扱っていた「椀船行商」の人たちが和歌山県黒江の漆工芸を桜井地方でも作りたいと考え、文政11年(1828年)に月原左ェ門らによる製造が始まったことが桜井漆器産業の始まりと言われています。

桜井漆器1

独自技法「櫛指法」で全国展開へ

製造する中で、桜井漆器を代表する「櫛指法」という独自技法が天保年間(1830年~1843年)に開発されました。
従来品では重箱の四つ角部分が破損することが多かったそうですが、角の部分を櫛型に加工し、凹凸部分がぴったりと合わさるように接着することで、壊れにくい重箱を作ることができるようになりました。
くっついたら離れないということから、縁起の良い品であると伝わり、贈答に喜ばれる品となりました。
また紀州のほかに、輪島塗で有名な石川県から、絵や文字などを描いた上に金粉を蒔く「蒔絵」(まきえ)や、漆器の表面に金粉を入れ込んで削る「沈金」(ちんきん)などの漆工芸技法も取り入れ、進化を遂げていきました。

椀船行商の衰退

時代の変化から、船で漆器を売りに出ることが徐々に困難となり、第二次世界大戦(1945年頃)を境に行商は衰退していったと言われています。
桜井漆器も影響を受け規模を縮小していきましたが、今日まで技術が継承され、伝統産業として息づいています。

桜井漆器2

日常的にも使われる漆器製品

桜井漆器は箸やお椀、グラスなど、日常生活で使用できる製品が多く製造されています。
もともと桜井漆器は、桜井地方の庶民たちに親しまれており、金箔で描かれた繊細なアートなど漆作りの高度な技術が用いられながら、普段使いできる漆器製品も見られます。
扱いにくいとイメージされる漆器ですが、市販の食器用洗剤で洗い自然乾燥または拭き取るという簡単なケアで使用することができます。
(ただし食洗器や乾燥機は対応できません。)

桜井漆器3

桜井漆器のいま

桜井漆器の技術は現代でもなお引き継がれ、庶民に親しまれた当時と同様に、各家庭の生活に寄り添う形で作られています。
また器から違う形で漆の技術が用いられ、県内外から注目される伝統工芸品となりつつあります。
進化を遂げた作品の一部をご紹介します。

桜井漆器4

菊間瓦とのコラボ商品「厄除け漆器」

2015年には菊間瓦とのコラボ商品「厄除け漆器」を発表しました。
菊間瓦は、今治市菊間で製造される瓦で、主に住宅に用いられ、中には鬼の恐ろしい形相を表現した「鬼瓦」があります。
鬼瓦は昔から魔除けの効果があると親しまれており、漆器の接着効果から「人と人をつなぐ縁」縁起の良さを掛け合わせ、愛媛県を代表する伝統工芸品が誕生しました。
瓦の表面には、色鮮やかな鬼の表情が漆で描かれています。

桜井漆器5

花クリスタルが経済産業省500選に選ばれました

2016年9月には、桜井漆器とガラス製品がコラボした「花クリスタル」が掲載産業省500選(The Wonder 500)に選ばれました。
漆は主に木造の製品に用いられ、ガラスに塗るのは困難であるとされていましたが、職人の手によって試行錯誤した結果、誕生したのが「花クリスタル」です。
蒔絵を用いた上品なアートが描かれ、赤と黒の漆はガラスの透明感と輝きをより際立たせています。
こうして桜井漆器は愛媛県のみならず、世界を代表する作品として注目されています。

花クリスタル

製造や販売・関連ホームページ

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